Dubbing days

発達メモとして使っていくつもりです。考えたことのまとめなど。

家守綺譚(いえもりきたん)を読みました

前置き

フォロワーさんと課題本を決めて感想をツイキャスで話す「読書会」をやろうということになり、課題本として選ばれたのがこの本でした。

期日と課題があることで、本を読みきるのが困難でもなんとか読むことができました。

定期的にやっていきたい活動です。

 

全体の感想

 

家守綺譚 (新潮文庫)

家守綺譚 (新潮文庫)

 

 

読んだものは新潮社から出版された、単行本のものである。あとがきや解説はない。
主人公がうらやましい。友人の家の守をしてお金がもらえるなんて、なんてうまい話なんだろうとおもった。その後も結構うまい話が舞い込んでくる。
一つ一つの話がとても短く読みやすい。少し不思議で優しい話が多いように感じる。
少しずつ設定が明らかにされていくのもよい。明治時代の話のようなので時代背景がわかっているともう少し楽しめたのかなと思う。
各話に度の季節かわかる描写がされており四季を感じることができることに気づいた。

夏から秋にかけての描写でようやく気付くことができた。

植物に詳しければ目次の時点で気づけたかもしれない。
短い文章でありながら情景描写が美しい。終わり際があっさりしており、読後感がよい。

 

各章の細かな感想

あまりないものもある。わからない単語と内容の覚書のようなもの。ネタバレ注意

 

 

サルスベリ

木に好かれる話。恥ずかしながら懸想が読めもせず意味も分からなかったので調べた、読みはケショウで「異性に思いをかけること」だった。きれいな言い方だ。

都わすれ
主人公の名が綿貫であると明かされる。怪異に出会う人間の名が綿貫とは、CLAMP作品のxxxHOLiCを思い出す。こちらは四月一日と書いてワタヌキだが、妖怪の類が見えてしまいそれを引き寄せてしまって巻き込まれる性質がある。こちらは結構怖い目に合うので、この話とは違うかな。
掛け軸を通して化けて出た(?)友人の高堂の言うとおりにするとすべてがうまくいった。高堂は予期していたように思う。

ヒツジグサ
睡蓮の一種。未の刻に咲くらしい。先述の話のままお隣さんからご飯も頂いてる主人公。とにかくうらやましい。またわからない言葉が出てきた「肝入り」、「斡旋をすること」らしい。植物の名や生態、言葉の勉強にもなる。鳴いたのはヒツジグサだったのだろうか、河童のような気もする。

ダァリヤ
また初見の言葉を発見。魚籠(びく)意味は読んで字のごとくだが、なぜ「びく」と読むのだろう。
百足は薬問屋に売れて金になるのだと百足の宝庫だからと、長虫屋が百足を捕まえる仕事を依頼する。百足を見るたびに金勘定をするのは気が引けると主人公は断った。うまい話ばかりでうらやましいが、断るなんて。
益体もない:役に立たない。

ドクダミ
河童の抜け殻を一目で見抜くおかみさんはいったい何者なんだ。
おかみさんが男の河童は雑だけど、女の河童は器用だというような発言をし、主人公と同じく私もむっとした。
禿(かむろ):おかっぱ頭のこと
高堂によると河童の抜け殻ではなく衣であるという。

カラスウリ
葎(むぐら)つる草の総称
小さい蔓があったころから見ているため引き抜けないあたり主人公は情が移りやすい性格のようだ。
河童の衣を返すことについて最初はむっとはしたものの親身になっているあたり、悪いやつではないのだろう。
カラスウリに囲まれそこで死んでしまった家守の夢を見ていたのだろうか。
私の情緒や読み取る力がないためにあまりわからなかった。悔しい。

竹の花
一乗寺の狸谷不動山、京都の話なのだろうか。
和尚に化けた狸から和尚の差し向けた女が助けてくれる話。竹の花も人を化かすのか
和尚は案内を頼んでないらしい。では誰が。迎えにきだゴローと竹藪と格闘をしたようなサルスベリ。竹の花が化かすのを止めようとしたのだろうか。

木蓮
突然の雷、季節外れの白木蓮のつぼみ。本来は春先に咲くので季節は夏だろうか。
例の長虫屋再び。雷によりつぼみにタツノオトシゴがいるらしい。
白竜が孵化する描写が美しかった。

木槿(むくげ)
写真を調べた。ハイビスカスと勘違いしていた花だった。
夏に見かける花なのでこれも夏の話かな
先年はいくつか前の年を指す言葉らしい。1890年(明治23年)のエルトゥールル号の話を先年としているので、明治時代のお話か。
なら言葉が固く古く感じられるのも理解できる。

ツリガネニンジン
初秋の時期になったようだ。文明開化の文字もある。やはり明治時代かな。
娘さんたちと釣鐘ニンジンの花の数が同じなので関係があるのかな。

南蛮ギセル
二百十日二百十日(にひゃくとおか)は、雑節のひとつで、立春を起算日として210日目(立春の209日後の日)である。日付ではおよそ9月1日ごろである。
二百二十日(にひゃくはつか)は雑節のひとつで、立春を起算日(第1日目)として220日目(立春の219日後の日)にあたる。
二百十日は風の強い日らしい。
虫屋に対峙して妙な感じを覚えたのは、家を背負ってではなかったからだと推論する。
電気が信用できないと申してるあたり、やはり時代が古い。
「事故を嫌悪する気持ちが八つ当たり的に展開しているだけのことである。そしてそれはさらに自己嫌悪感を深める結果となる。こういうのを悪循環という。わかっていてやめないのを自虐的という。」心当たりがある。よくわかる。
ふと現れた高堂はふさぎの虫に取りつかれているという。蟲の仕業か(違う)。この言い回しはいいな、つかいたい。
高堂が風虫を逃がしてやると眠たくなった。風虫がふさぎの虫として悪さをしていたのだろうか。

紅葉
竜田姫は日本の秋の神様らしい。竜田姫の侍女というのは主人公が見た鮎の人魚だろうか
日本の神話や伝承に詳しかったらもっとわかるのだろうなと思った


虫がほくろになった。先述の竜田姫を原稿に書き記したようだ。
高堂が死んだ湖からも水が引かれている池があるから高堂はこちらの世界にやってこられるのか。高堂はそこにそのままの姿で眠っている。湖に魅入られたとも、高堂が湖に惹かれたのもどちらもいいなと思った。湖の底にいるから竜田姫のことを気にしていたのか。
最後の「赤紫の闇が、鏡のような池の面に浮いた」という表現が美しい。


綿貫は人魚を見たときローレライが流れたという。ローレライは人魚の伝説の一つである。
人魚に魅入られ、そばに置いておこうとした綿貫を高堂がたしなめているように感じた。

ススキ
十五夜石山寺に赴いたことがあるが、紫式部が籠って源氏物語のどれかの巻を書き上げた場所というのは初めて知った。
「確かにいい場所だ。こういうところに人は埋まりたがる」綿貫と同じく自分の場合はどこだろうとおもった。
高堂は埋められたいという件は果たしたという。それは湖の底のことだろうか

ホトトギス
和尚にあうとごちそうのお誘いが、マツタケがたくさんあるという。つくづくうらやましいやつだ。
「生臭いものも食わねば衆生の気持ちはわからんじゃろうが。衆生の気持ちに近づかねば衆生は救えんよ」という和尚の言葉に妙に納得した。
信心深い尼の姿をした狸を助けてやるとお礼にたくさんのマツタケをもらう

野菊
「すべからく名前というものは、自分に気分のいいように呼ばれるべきものだと思うのです。嫌だったらどんどん変えればいい。」同意する。
山内はアナグラムサルスベリにリサベルという名を与える。喜んでるようだ。

ネズ
一生カワウソ暮らしいいな。
冬眠前という語から晩秋か初冬であると推測できる。
「日がな一日、こうやって今日の糧を得るためにぼんやりと座っている、それをカワウソ暮らしというのなら、それはそれで正しい暮らしではないか」
やはりカワウソ暮らし。いいな。

サザンカ
人が自殺したことを話す爺さんはそのことを話させたことを恨んでるように感じた。何が悪いのだろうか。
自殺に年など関係なかろう、すすめられた結婚をいやがりそれで自死、第一発見者は実の父親。ざまあみろって感じだ。
死んだのはダァリヤの君の幼友達の佐保ちゃんであり、ダァリヤの君はそれは見送っていたのかもしれない。

リュウノヒゲ
初冬が迫る時期。おかみさんは学者なんて土地の気脈というものがわかっていないと怒っているようだが、私には非科学的だとしか思えないのだった。

檸檬
雪が降っていることがわかる。感想は特になし。

南天
節分後のお話。吉田神社は節分の鬼遣らいで有名なのか。
札の中身は南天でした。

ふきのとう
三月の話。小鬼とふきのとうを探す話。小鬼のつぶやいた「探し物は見つかる」という言葉はフキノトウを指すのか、高堂のことを指すのか。
天邪鬼に言われて綿貫の下へ姿をみせたようだ。小鬼=天邪鬼?啓蟄の日のようだ。虫がはい出てくる時期。

セツブンソウ
ゴローはなんと鳶から降り立って帰ってきた。その姿を想像するととてもかっこいい。仲裁で有名になり、あちこちへ出向いているようだ。
佐保姫は春の女神らしい。

貝母(ばいも)
早春の季節。筍の描写がとても美味しそう。道中であった女人は探している竹はここにはないと話し、ユリと名乗る。特に貝母の描写はなく、貝母はユリ科であるためこの女人を指すのか

山椒
狸が和尚に化け、高堂が出入りする掛け軸を封じようとした。山椒が芽吹き、春がやってきた。


疎水の桜は見たことがあるのでそれを思い出しながら読んだ。今は人が多いが、いいものだと思う。
「まさにときは春、万物がその生を謳歌するにこれほどふさわしいしつらえがあろうか」とてもよい。
暇乞い(いとまごい)別れを告げること。桜鬼(はなおに)というらしい、それをみかねたおかみさんはちょうどいい縁談の話を持ってくる。つくづく都合のいい話が振り込んでくる。うらやましいぞ。

葡萄
異界のようなところで、葡萄と優美な生活を進められる。
「(前略)その優雅が私の性分に合わんのです。私は与えられる理想より、刻苦して自力でつかむ理想をもとめているのだ。こういう生活は—私の精神を養わない」ときっぱりと断る。いままでよさそうな話があっても断ってきたのはこのためか。主人公の人間性がよくわかるセリフだと思う。そちらへ行けないのは友人の家を守らねばならない、とも付け足す。高堂は葡萄を食べたようだった。